張照堂 板橋 1962 作家蔵
パブロ・バエンス・サントス マニフェスト 1985-87 ナショナル・ギャラリー・シンガポール蔵
ジム・スパンカット ケン・デデス 1975/1996
ナショナル・ギャラリー・シンガポール蔵
ワサン・シッティケート 私の頭の上のブーツ 1993
作家蔵 撮影=マニット・スリワニチプーン
FX ハルソノ くつろいだ鎖 1975/1995 ナショナル・ギャラリー・シンガポール蔵
ナリニ・マラニ ユートピア 1969/1976 作家蔵 Courtesy of the Artist and Vadehra Art Gallery

アジアにめざめたら | アートが変わる、世界が変わる1960-1990年代

2018/10/10(水)〜12/24(月・祝)

東京国立近代美術館

開館時間:10:00 - 17:00(金・土曜は 20:00まで)
休館日:月曜(12月24日は開館)

SPECIAL ISSUE

2018年、
我々はめざめることができるか?

1960-90年代、アジアは民主化や消費社会化による価値観の変動を受け、大きく渦巻いていた。「美術手帖」では、「アジアにめざめたら」展をそれら社会全体の表象としてとらえ、美術に留まらない3つの視点から照射することを試みた。2010年代に生きる我々は、この展覧会での“めざめ”をどのように活かすことができるだろうか。“鑑賞者”という距離感から一歩踏み出し、現実に歩み拓くことが求められている。

展覧会の概要を見る

INTRODUCTION

ワサン・シッティケート 私の頭の上のブーツ 1993 作家蔵
撮影=マニット・スリワニチプーン

本展はかつてないスケールで、アジア各地の現代アートの黎明期である1960年代から1990年代に焦点をあてる展覧会です。日本、韓国、シンガポールの国立美術館3館と国際交流基金アジアセンターによる5年に及ぶ共同プロジェクトの集大成として日本で開幕、その後韓国とシンガポールに巡回します。

10を超える国と地域から、激動の時代に生まれた挑戦的かつ実験的な約140点の作品を一堂に集め、時代や場所の異なるアートを、国の枠組みを越えて比較することで、思いがけない響き合いを発見することを目的としています。本展で得られる体験は、アートと世界の見方を変え、アジアとの新たな関係を築くヒントに繋がるでしょう。

開催概要

会期 2018年10月10日(水)~
2018年12月24日(月・休)
会場 東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー
開館時間 10:00-17:00(金・土曜は10:00-20:00)
※入館は閉館30分前まで
休館日 月曜(12月24日は開館)
観覧料 一般1,200(900)円 / 大学生800(500)円
※()内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
主催 東京国立近代美術館 / 国際交流基金アジアセンター / 韓国国立現代美術館 / ナショナル・ギャラリー・シンガポール

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02「苦行のように疑い続ける」
ポピュリズムを止める、小さな主語
──ジャーナリスト/キャスター・堀潤に聞く

2017年に堀が訪れたパレスチナ・ガザの様子

現実の見え方は、所属や時代によって容易に変わりうる。市民参加型メディアを運営するジャーナリストの堀潤は、現実・情報・表に対する「めざめ」として「疑う」ことの必要性を提示する。現在開催中の展覧会「アジアにめざめたら:アートが変わる、世界が変わる 1960-1990年代」を企画した東京国立近代美術館の研究員・桝田倫広とともに、話を聞いた。

単純化しないアプローチ

 ソン・ヌンギョンの、新聞を切り抜くパフォーマンス作品《1974年6月1日以降の新聞》が痛快でした。2018年の夏、僕は北朝鮮・平壌(ピョンヤン)に約1週間行ってきたのですが、初日にあちらの政府関係者から「皆さんの国ではいつの間にか[朝鮮民主主義人民共和国[1]]とは呼ばなくなりましたね」と言われたんです。僕がNHKに入局した2001年のニュース原稿では、まだそう呼んでいたのを思い出しました。いつから変わったのだろうと調べてみたところ、諸説あったのですが、小泉純一郎首相(当時)が訪朝して拉致被害者救済の法律をつくったときに、いわば対立する国として法律のなかに「北朝鮮」と明記され、それからメディアの表記も倣うようになった、と語る新聞社の役員がいました。

でもそれって日本政府によるプロパガンダですよね。拉致問題は絶対に解決するべきだけれど、政府の表現に盲目的に従って、3文字で表現するようになるのは違う話なんじゃないかなと僕は思った。だからあの作品を見て、新聞から「朝鮮民主主義人民共和国」という文字を全部切り抜いてみたいなと思いました。

僕にとって忘れられない言葉が、アドルフ・ヒトラーの書いた『わが闘争』のなかにあります。「広範な大衆の国民化は、生半可なやり方、いわゆる客観的見地を少々強調する程度のことでは達成されず、一定の目標を目指した、容赦ない、狂信的なまでに偏った態度によって成し遂げられるのだ。」(アドルフ・ヒトラー、平野一郎・将積茂訳、『わが闘争』、KADOKAWA、1973年)という言葉です。

「過剰だ。そんなのおかしい」と思えば思うほど、誰かの思惑が心のなかに侵入しているのかもしれない。それはいまと何も変わらないなと思いました。いい話も悪い話も含めて、すごく心を揺さぶられるような話に、SNSでいいねやシェアがつく。象徴的ですよね。いっぽうで淡々とファクトを述べるものには低調なシェアしかつかない。ヒトラーのプロパガンダを他人事のように、過去の遺物として笑っている場合ではないんです。

トランプ政権しかり、日本の国防や安全保障に関する議論の仕方もしかり。だから、僕がとくに最近テーマにしていて呼びかけているのが、「疑う」ということです。あなたが思った「イエス」は、いったい誰のイエスですか、ということです。「絶対こうだ」「そうだそうだ」と人は言うけれど、それは誰によって「そうだ」と思わされたのだろう。原体験を語れますか? 

だからこの展覧会のテーマとして掲げられている「構造を疑う」は、すごく良かった。解釈が終わらないというのは、すなわち受け手側が考え続けることができるということです。わかったと思ったらそこで思考停止してしまう。思考停止した人を統治するのは簡単なことですよね。ひとつの価値を教えられる、理解させられる、ということがいかに危険かを、改めて僕は思い続けています。

桝田 台湾の作家である王俊傑(ワン・ジュンジエ)と鄭淑麗(チェン・シューリー)は、中国と台湾における天安門事件の報道の仕方を焦点に当て、《歴史はどのように傷つけられたか》という作品にしました。同じ事件でも、2つの異なる体制によってまったく違う見方がなされる。しかも、どちらの体制も、もういっぽうのことを悪く言うために、事件を利用している。台湾では天安門事件について、「中国の共産党政権を倒そうとした若い学生を、我々も応援しよう」というような、情に訴えかける報道がされていたんです。

 沖縄基地[2]における安倍政権と米軍普天間飛行場の辺野古移設の問題が思い浮かびます。(政府と沖縄県といった複数の視点が交差しているという点で)同じ構造ですね。

2018年に堀が国際NGO「JVC」の交流事業に同行し訪ねた平壌の様子

出品作でも多く見られる表現形態を表す「参加型」という言葉は、現代アートの世界では頻繁に用いられます。ジャーナリズムや民主主義の視点からは、違った意味に見えてくるのではないでしょうか。

 鑑賞者に問いかけてくる、FXハルソノの《もしこのクラッカーが本物の銃だったらどうする?》や、ホワイトキューブ内で居酒屋を再演する、イ・ガンソの《消滅──ギャラリー内の酒場》は、単純化しないアプローチの仕方で良いですね。オーディエンスがいなければ成立しない形式というのは、見る者を信じていないとできないことだと思います。

桝田 観客にハサミを持たせて作家の服を切らせていく、オノ・ヨーコの《カット・ピース》も参加型ですね。初回は日本で行われたのですが、展示されているのは3回目のニューヨークで行われたときのイベントの記録映像です。アメリカで行われたということで、この作品にはもうひとつの意味が加わっているように思います。つまりアジア人女性──「日本人女性」よりもう少し広く解釈していいと思います──が、欧米の男性によって服を切られていくということ。

これを同時代の出来事であるベトナム戦争[3]と重ねて捉えれば、「欧米に切り取られていくアジア」という事態が、彼女の身体を通じて表現されていることがわかる。もちろん、男性の好奇な目線が女性を切り取るという視点でこの作品を解釈することもできます。

 鑑賞者をすごく悲観し皮肉りながらも、まだ信じているということが作品からうかがえる。そこに希望を感じました。希望を見出さないと変わらない、という呼びかけだと思いましたね。

単純化するのは、大衆を信じていないからだと思います。──堀

参加型の作品に見られるような、こういう人々の連帯的な活動というのは、すでに報道されている以上にたくさんあるんです。でもそれをメディアが伝えられていない。これはメディアの悪い癖で、「どうせこれを言っても視聴者はわからないだろうから」と思って、わかりやすく加工して、「AかBかを選んでください」と提示する。なめているな、と思います。

あと、業界用語で「成り注(なりちゅう)原稿」と呼ばれる、「成り行きが注目されます」というニュースの言い回しもよく聞きますよね。すごく無責任だなって思う。僕はもう、そういったものに満足できなくなったのでNHKを辞めたんです。

もう少し人々の具体的なアクションを引き起こせるメディアのあり方があるんじゃないか。それで僕は、「8bitNews」という市民自身が投稿する参加型のメディアを立ち上げたんです。100人いれば100通りの社会事象と向き合っているわけなので、それらがどんどんニュースになって世の中に発信されれば、と思いました。「両論併記」という考え方は本来成り立たないはずで、小さな主語が無数にあるべきなんです。2種類では片付けられないし、「両論にした」という編集がそもそも作為的です。メディア側の情報提示の都合で生まれてしまった、賛成か反対か、支持するか支持しないか、という二項対立から脱却しなくてはならない。単純化するのは、大衆を信じていないからだと思います。

FXハルソノ《もしこのクラッカーが本物の銃だったらどうする?》に対する回答を会場に設置されたノートに書き込む堀

戦い続けるアジアと取り残された日本

展覧会では、日本は60年頃から「めざめ」ていた、アジアのなかでは早かった、という位置づけでした。

桝田 この展覧会は、実は小さな主語の集合体なんですよね。展示されている作品の多くは、今では有名な作家によるものばかりですが、各国内では必ずしも美術(史)のメインストリームに居つづけた作家ばかりというわけではない。みなさん、したたかで、そしてとても強い。ともすれば日本よりずっと社会的に不均衡で抑圧的な体制のなかで耐え忍びながら、民主化運動が高まったところでいっせいに出て行って、重要な仕事を成し遂げる。見習いたいところです。

出品作家はみな、したたかで、そしてとても強い。──桝田

 自分たちでメディアを持ったり使ったりして、当事者として発信することが、まだまだ日本では少ないです。ニュースというのは自分以外の誰かが伝えるもので、それに対して良い悪いを言う──そういう形の議論で盛り上がっています。その前に、自分たちで表現していけばいいと思うんです。本当は、まだ民主主義が眠っているのではないか。そういう意味では、僕は展示を見ていて、いまの日本の状況を重ね合わせる機会が多かったです。

この時代に立ち上がった人がいるということにすごく感銘を受けるいっぽうで、日本は「めざめ」ているのか。日本に向けて考えると、「めざめよ」なのではないかと思います。そして、いままさに変容しているアジア、とくにカンボジアのフン・セン政権の独裁化をはじめ、中国の一帯一路構想[4]の経済成長の枠組みに取り込まれていくアジアの様子を見ていると、欧米の民主主義的価値観に基づいた発展とはまた異なる経済発展を遂げようとしていることに注視しています。

一方で、メディアの民主化についても、台湾では1980年代から2000年代にインターネット・カルチャーと結びついてたくさんの新しいメディアが誕生しました。しかし自由になり過ぎて、フェイクニュース大国になっていたりもします。どの国でも、このままでは立ち行かないところが見えてきている。各国が、それぞれ「めざめ」という言葉の意味をどう解釈していくのかが鍵になってくるのではないでしょうか。

いま僕は、カンボジアで起きていることを発信するお手伝いをしています。ポル・ポト軍事政権[5]が約30年前に倒れましたが、現在ではフン・セン政権が強権化しているんですね。だからその現場を伝えるために、現地で活動しているNGO職員やフォトジャーナリストの方々を日本に呼んでシンポジウムを開きました。政権交代は、当時は喜ばれたことだったのですが、いまでは「虚しい30年だった」と言われているそうです。

展覧会を通して改めて60〜90年代を振り返りながら、10年後もう一度見たときに何を正解と思うかはわからないな、と強く思いました。当時はただのキワモノ的なことにしか思えなかったり、違和感でしかなかったものが、俯瞰して歴史をもう一度眺めることで、様々なものが醸成され、時空を超えた価値を提示できる。だから、ひとつの事柄でも見続けなければならないんですよね、本当は。

ですが現代は情報の量が多く、広がるスピードも速いので、集中力が続きにくい時代でもあります。だからこそ、簡単には信じないで疑い続けることが大事かな、と思います。絶対正しいよね、と言いながら、はたして10年後20年後、あなたは同じようにそう言っているのか。情報に対する寛容さが生まれれば、ポピュリズムに少し歯止めをかけられるのかもしれません。違うかもしれない、と思えるかどうか。苦行のように、向き合い続けなければなりません。

ほり・じゅん

ジャーナリスト、キャスター。1977年生まれ。NPO法人「8bitNews」主宰。株式会社GARDEN代表。2001年NHK入局。リポーターとして活動後、2013年に退局。現在に至る。

撮影=内田ユキオ


【1. 朝鮮民主主義人民共和国】
第二次世界大戦後、ソ連と米国によって朝鮮半島が分断、統治されることとなった結果、北緯38度線以北に成立した国家。建国においてはソ連の支援のもとで社会主義体制をとり、金日成が初代の首相となった。首都は平壌。
【2. 沖縄基地問題】
沖縄県における在日米軍基地にまつわる議論のこと。基地の存在が騒音などの環境問題や基地依存による産業発展のひずみといった問題を引き起こし、さらに1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけに、沖縄県全体での基地反対運動につながった。96年に日米両政府によって、人口密集地の中心にあり世界でもっとも危険な基地とされる普天間基地の返還が合意されるも、移設先や合意の中身をめぐってまだ決着はついていない。2018年沖縄県知事選挙では米軍普天間飛行場の辺野古への移設反対を表明する玉城デニーが当選した。
【3. ベトナム戦争】
南北に分断したベトナムの統一と独立をめぐる戦争。1946年にベトナム民主共和国がフランスからの独立を宣言し、インドシナ戦争が勃発。この戦争で勝利したベトナム民主共和国がベトナム統一を主張するも、米国の支援を受けた南ベトナムが「ベトナム共和国」を建国したことによって、54年に北緯17度線を停戦ラインとしてベトナムは南北に分裂した。分裂後、統一をめぐって北軍と南軍による戦闘が開始。ベトナムの共産化を阻止する名目で米国が軍事参入したことによって戦争は長期化。73年にアメリカ軍が撤退。北軍によるベトナム統一が行われたことで終結した。
【4. 一帯一路構想】
中国政府が進めるシルクロード地域における経済圏推進構想のこと。中央アジアから欧州に向かう陸路シルクロードを「一帯」、中国沿岸部から東南アジアを経由して欧州に向かう海上シルクロードを「一路」とする。該当地域で道路や通信設備などのインフラ投資や、金融、貿易、テクノロジーなどの各種投資を進めることで、産業活性化および高度化を図る狙い。
【5. ポル・ポト軍事政権】
1976年から79年までカンボジアを支配した、ポル・ポトを指導者とする急進的な共産主義政権のこと。ポル・ポト政権下では農業主体の共同社会の建設、通貨の廃止、学校教育の否定など原始共産制的政策が強行され、反対派への弾圧によって多くの犠牲者が出た。政権崩壊後は、1993年にカンボジア国民議会選挙で民主政権が誕生するなど、民主化の動きが進められることとなる。